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 クレビオスのこの彫像(図版 1415)は、その肉体が力強くて その構成が殆ど建造物のようであり その外観も途徹もなく大きかったことの故に、B.C.6 世紀初期にアルゴス Argos(訳注 79)で作られた彫刻の中では 目立った見本となっている。デルフイにある 兄弟の対になったこの像は、更にその上に 当時採用されていたグル-ピングの追加方法を図解して説明するのにうまく適合している。メロス島 Melos(訳注 80)とテネア Tenea(訳注 81)とで出土した 2 つの若者像は、2 つの地域で 同じ時期に見られた芸術にも 相違点が潜在していたことを例証している。この両者はどちらも B.C.6 世紀の半ばに作られたものであった。メロス島の彫像(図版 34 と 35)の方は、背丈が極端に高くて 競技者風ではないデリケ-トな形態をしており、この像の作りが植物のようであることから見ても 植物性の感覚に訴えかけるスタイルを持った イオニア地方の芸術に属するものであると知られるし、テネアの彫像(図版 36 から 38 まで)の方は、コリント Corinth(訳注 82)出身の巨匠の手で 力強くて溌洌とした活力とか 精神的な気くばりとかが、十分に表現出来たものであるということを、例証しているのである。

 ジオメトリック期が終熄した後になって 途徹もなく大きい彫像が生まれて来たのにつれて、一つ一つの地域毎に特有なスタイルが ますますはっきりと ギリシャ彫刻の中に現われ始めている。隣り合わせになった地域の間にさえも このスタイルの相違が存在しているのであって、地域間のこのスタイルの相違と、ギリシャの色々な種族が受け継いで来た 著しい特徴であるとか、ギリシャの中の夫々のゾ-ン毎に特有な 地理的条件であるとか、独立していてその上に閉鎖的であった 夫々のコミュニテイ毎の政治組織であるとかいったものとが、概して関連を持っていたということは、疑いを容れないところである。地域も その住民も隔離されており、高い山とか 連山があったり、半島の間には湾があったりして、地域間の交流が難かしかった。その上、島々は海があって 本土から隔てられていたのである。

 B.C.7 世紀と 6 世紀との間の芸術の大きいゾ-ンを代表する 特徴的な見本となる作品を 此処で列挙したい。7 世紀のクレタ島の作品としては、既に引き合いに出している 嘗てはオルセ-ルの美術館 Auxerre(訳注 83)にあり、今はル-ブル美術館に所蔵されている 石灰石で出来た<彫像>(図版 6)があり、アルゴスの作品としては、デルフイのクレオビスとビトンとのグル-プ像(図版 1415)があり、コリントの作品では、コルフ島にあるアルテミス女神 Artemis(訳注 84)の神殿の破風彫刻(図版 16 から 19 まで)とか テネアの若者像(図版 36 から 38 まで)とかがあり、イオニア地方の島々の作品では、メロス島で出土したアポロ神の像(図版 34 と 35)とか デルフイにあるシフノス島 Siphnos(訳注 85)の神庫の浮き彫り(図版 48 から 55 まで)とか エレトリア Eretria(訳注 86)のアポロ神の神殿の破風に付いていた群像(図版 66 から 68 まで)とかがあり、東部ギリシャの作品としては、アテネのアクロポリスの丘の上で出土したサモス島のコレ- Kore(訳注 87 -少女)の像(図版 27)とか ケラミュエスの奉献したヘラ女神の像(図版 32 と 33)とか デイデユマ Didyma(訳注 88)のアポロ神の古神殿にあった浮き彫り(図版 42)とか エフエソス Ephesus(訳注 89)から出土した<眠っている頭部の像>(図版 40 と 41)とか アテネのアクロポリスの丘の上で出土した キオス島 Chios(訳注 90)で出来たコレ-の像(図版 70 及びⅢ)とかがある。ヘシオドス Hesiod(訳注 91)とピンダ-ル Pindar(訳注 92)の故郷であるボエオテイア地方 Boeotia(訳注 93)の田舎染みた珍しいスタイルを 非常に典型的に例示している作品が 2 つあって、その一つは マンテイクロスが奉納品として奉献した アポロ神の初期の小像であり、他の一つは プトア Ptoa のアポロ神の聖域から出土した 切り口の鮮やかな形の 石灰石の頭部像(図版 2829)である。エギナ島の芸術を代表しているのは、アフアイア女神の神殿から出土した破風の彫刻群(図版 72 から 77 まで及び 82 から 87 まで)であり、マグナ・グレキア Magna Graecia(訳注 94)の諸都市を代表するのは、セ-レ川 Sele(訳注 95)の川口にあるヘラ女神の神殿から出土した 踊る婦人像の付いているメト-ペの彫刻(図版 78)とか ベルリンにある 王座に即(つ)いている女神の像(図版 97 から 101 まで)とか ピオムビノの町 Piombino(訳注 96)のアポロ神の像(図版 92 から 95 まで)とかである。後の 2 つの像は、最早ア-ケイック期の芸術から 遠く隔たって進んでゆく道の 入口の所に差しかかっていたのである。

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