訳 注

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訳注
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(本文訳注 094) マグナ・グレキア Magna Graecia
ギリシャ人の植民市が建設された 南イタリ-の地域を言う。B.C.750 年頃から建設され、ギリシャ文化がロ-マに伝えられた。これらの植民市は土地が肥沃であって、農業を基礎として 付近の異民族やギリシャ本土と通商し、手工業も発達した都市が多かった。B.C.500 年頃 都市間の抗争で次第に衰微し、山地の異民族の侵略にも遭い、同 280 年には次々にロ-マに降り、その勢力下に入った。

(本文訳注 095) セ-レ川 Sele
カラブリット山 Calabritto に源を発し、南イタリ-のカムパニア州 Campania とルカニア県 Lucania との間の境界線となって流れ、ペスタム Paestum の北方でサレルノ湾 Salerno に注ぐ川で、嘗てその川口にヘラ女神の神域があった。

(本文訳注 096) ピオムビノの町 Piombino
イタリ-中部の西側リグリア海 Ligurian Sea に面した港町で、人口凡そ 4 万人。フオロニカ湾 Follonica の北の岬の突端部を占め、海峡 12 km.を隔てて 対岸にエルバ島 Elba を望む。エルバ島の鉄鉱石が 古くはこの町の製鉄業の基礎をなしていた。エトルリア・ロ-マ時代の遺跡で知られている。

(本文訳注 097) ポロス石 poros (多孔性石灰石)
<石灰華>を言う。恰も虫に侵蝕されたかのような小さい孔状の傷を有し、その多孔質に趣があるため 装飾用として用いる。色は淡褐色か茶褐色で、イタリ-産が有名である。トラバ-チン travertine とも言う。

(本文訳注 098) トリトン Triton
ポセイドン神は 後にアキレスの母となったテテイス Thetis との結婚を諦めた後、別のニアリットの一人の アムピトリテ Amphitrite を后として、トリトンら 3 人の子を生んだ。古くはアイガイ Aigai の沖合いの海底の宮に棲んでいる海王と考えられた。後 半人半魚の姿で ポセイドン神に従って海馬に跨がり、法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らして 海を鎮めたり波を立てたりする姿で想像された。ヘレニズム期には アフリカのトリトニス湖 Tritonis の神とされた。ボエオテイア地方のタナグラには 奇妙な伝説があり、女たちがデイオニソス神の祭りの間に湖で沐浴していると トリトンが襲い、女たちの祈りを聞いて酒神がトリトンを追い払ったとされている。

(本文訳注 099) ヘラクレス Hercules
ギリシャの英雄伝説の 勇気と超人的な力の持ち主として知られる重要な英雄である。元来は多分 実在の人間であったと考えられている。神話では ゼウス神とアムフイトリュオン Amphitryon の妻のアルクメネ Alkmene との子で、その名は<ヘラの栄光>の意ではあるが、ゼウス神の正妻ヘラ女神の憎しみを受け、自らその犯した罪を贖うべくデルフイの託宣に従って アルゴス王エウリュステウス Eurystheus に仕える身となり、王の命令で 12 の難業を果たした。苦難に耐え 悪者や怪物を退治して、人々に奉仕した。死後 神々の列に入り、ヘラ女神と和解した。ギリシャ各地で崇拝され、特にドリス人に普及し、崇拝はロ-マへも伝わった。

(本文訳注 100) ペプロス peplos
主としてドリス人の用いた古代ギリシャの婦人用長衣で 男性用のマントに対応し、通例キトンの上に着た。穴も縫い目もない羊毛製の角布の上縁を 1/3 ほど表側に折り返し 更に縦に二つ折りにして 柏餅状に身体に巻き付ける丈長の寛衣で、両肩でピンで留める。腰帯は通常胸部の布のたるみ(コルポス kolpos)と その上に垂れた折り返し(アポプテユグマ apoptygma)のため見えない。主に古典期以前に用いられ、構成が単純でありながら 合理的形態と襞の美しさに優れているので、特に知られている。

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