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その彫像自体の上とか その台座の上とかに、彫り込まれていたり 鑿(のみ)で削り込まれたりしている刻み込みを通して、これらの彫像は 生きた人間のように話をすることが出来た。現在はボストン美術館 Boston に収蔵されているアポロ神の彫像(図版 3)は こうやって見る人に語りかけ、自分の両腿の上に付いている二行連句によって、見る人に <マンテイクロス Mantiklos は、銀の弓もて 天を遠くへ投げる神に、この身を奉献した。>と告げている。大理石で出来た若者たちが 自らの美しさを褒め称え、この像は立派で素晴らしい彫刻作品であると告げているのである。サモス島 Samos(訳注 70)で出土し、今はル-ブル美術館に所蔵されている ヘラ女神 Hera(訳注 71)の像(図版 32 と 33)には、彫り込みがそのベ-ルの上に付いていて、<ケラミュエス Cheramyes がこれを ヘラ女神への捧げ物として与えた。>と宣言している。B.C.6 世紀半ばにサモス島産の大理石で作られた 婦人像の大きい群像には、その台石に彫り込みがあって、<ゲネレオス Geneleos が この群像を作った。>ということを知らせている。聖所や墓地の中に立っていた 獅子とか 豹といったア-ケイック期の動物像や、スフインクス Sphinx(訳注 72)とか サイレン Siren(訳注 73)といった混成の生物像にも亦 これらの人間の彫像の中に入り込んでいたのと同じような 生命の活力が宿されていた。これらの像は、獰猛で悪魔的な力強さを示す 大きい象徴物であった。有翼のゴルゴン Gorgon(訳注 74)の像(図版 1718)も こうした類いの象徴物の一つであって、コルフ島 Corfu(訳注 75)にある破風の中で見受けられる通り、神殿の高い場所から下に向かって そのグロテスクな顔が歯を剥き出して笑っていたのである。ア-ケイック期の破風であるとか フリ-ズ(帯状浮き彫り)であるとか メト-ペとかの上に置かれていたり、各種の用具にくっ付けられていたり、画家の手で 碑板とか 器(うつわ)とかの上に描かれたりしていた 神々とか、伝説上の英雄たちの像も、同じような実在性を持っていた。芸術の上での存在と 神話の上での存在と 現実の存在との間では、夫々の領域がア-ケイック期の年代には 未だにはっきり区分して分けられてはいなかったのである。

 ア-ケイック期の若者の像が全部で 6 つ、この本の図版の中に示されている。その作られた時期と 生み出された地域との持つ特性が、この 6 つの何れもに示し出されている。デルフイにあるクレビオス Clebios とビトン Biton(訳注 76)の兄弟の像だけは別として、残りはすべて恐らくは 墓碑像であったのであろう。ニュ-ヨ-クにある若者像と アナヴィソス Anavyssos(訳注 77)にあったクロイソス Kroisos(訳注 78)の墓で出土した記念碑とは、アッテイカ地方における 一方はその初期の代表作品であり、他方はこのタイプの人物像が最高の水準に到達した 後期の代表作品である。この 2 つの像の作られた時期の間には、凡そ 100 年のずれがある。ニュ-ヨ-クにある初期の彫像(図版 11 から 13 まで)は、B.C.7 世紀の終わりに作られたものであって、そのポ-ズが頑固なまでに厳しいこと、その構成が整然としていて 明快であること、更には 身体の各部分がどれも均斉が採れて 全体に統合されていること、骨格の骨組みや関節とか 筋肉とか 腱とかが 抽象化されて取り扱われていることなどに、その有力な特徴が見られる。アナヴィソスの記念像(図版 57 から 61 まで)の方は これとは対照的に、より生き生きとしており より写実的であって、言わば 更には血と肉とを持っている生き物であるとさえも言えるのであろう。年代の古い方の作品では、その彫刻は 圧倒的に優位にある精神面でのプロセスが 外に現われ出て来て構築されたものと見られるならば、後者の新しい作品にあっては、全体の構築が 全身を貫流する生存感といったものから芽生えているのである。全般的に言えることは、この人物像は 一段と肉体的であり、その形が丸味を帯びて 脹(ふく)らんでいるということであって、このアナヴィソスの若者像を眺めていると、豊かさに充ち溢れたその生命の勢いが 因襲的な古い型をばらばらにして 引き裂くであろう時代のやって来るのは、それ程先のことではあり得ないという印象を 私たちは強く受けるのである。この彫像の彫られたその年代に、アッテイカ地方で 赤絵模様の初期の壺の発生が見られていたということを知っておくことは、大切なことである。影絵になった黒い像が表面の上にぺったりとくっ付いていた より古い壺絵と置き換わって 新しく発生した陶器のこの装飾形態は、一段と明るい人物像から成っていて、その像は 容器の黒い壁面から脱け出して立ち、形もずっとしっかりしていたし、他から自立もしていたのである。

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