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(本文訳注 074) ゴルゴン Gorgon
海の神ポルキュス Phorkys と その妹ケ-ト Kato との間の 3 人の娘 ステノ- Sthenno、エウリュアレ Euryale、メドウサ Medusa のことで、3 人の内メドウサだけは 不死ではなかった。3 人とも嘗ては 美しい娘であったが、或る夜 メドウサがアテ-ナ女神の神殿で ポセイドン神と交わったのを怒った女神は、メドウサを黄金の翼を持った怪物に変えた。醜怪な顔、青銅の爪、蛇の頭髪、猪のような巨大な歯、突き出た舌を持ち、ぎらぎら光る眼で睨まれた者は 皆石に化せられた。ゼウス神が ダナエDanae と交わって生んだ子のペルセウス Perseus が アテ-ナ女神の助けを藉りて ヒュペルボレオス Hyperboreos でメドウサの首を刎ねた時、ポセオドン神の子である有翼の天馬ペガソス Pegasus と 黄金の剣を掴んだ戦士クリュサオ-ル Chrysaor とが、メドウサの傷口から跳び出したと言われる。メドウサの首は アテ-ナ女神のイジスの飾りとなった。メドウサは 本来は古い大地女神で、厄除けの力を持つものであったらしく、武器や壁の上に ゴルゴンの頭を付けるのは、そのためであった。

(本文訳注 075) コルフ島 Corfu  ( page 27 図 01 参照 )
ギリシャの北西岸 アルバニア Albania との国境に近く、海岸から約 30 km.の沖合に浮かぶイオニア海 Ionion 第二の大島で、面積 593 平方 km.、人口は 10 万人を超える。典型的な地中海性気候で、オリ-ブ油、葡萄酒、果実、穀物を産する。B.C.8 世紀頃 エレトリア人が最初に植民し、B.C.664 年の海戦の後 コリント人の支配下に入ったが、B.C.6 世紀にはコリントから独立し、同 5 世紀にはアテネに次ぐ海軍国となった。ヘレニズム期に カッサンドロス Kassandros、アガトクレス Agathokles、ピュロス Pyrrhus らの諸将に攻撃された他、この島は 以後 近隣諸国から良き獲物として 狙われ続けた。

(本文訳注 076) クレビオス Clebios とビトン Biton
ヘロドトス中でソロン Solon がクロイソスに 世界で最も幸福な人間として語った 2 人のアルゴスの若者の兄弟である。母をヘラ女神の祭礼に連れて行く時、牛が間に合わなかったので、 45 スタデイア stadia の距離を 2 人で母の載った車を曳いて行った。人々は彼らを賞讃した。母は女神に人間の持ち得る最大の幸福を祈った処、2 人は眠っている間に安らかに世を去った。アルゴス人は彼らの像をデルフイに奉献した。

(本文訳注 077) アナヴィソス Anavyssus
アテネからスニオン岬に行く海岸通りの道のスニオン寄りにある 南部アッテイカ地方の小さい町である。兵士クロイソスの立像が 1936 年に ここで出土した。

(本文訳注 078) クロイソス Kroisos
ギリシャの戦死した若者の名であって、多分ペイシストラトス一族に対抗する アテネの名門アルクメイニダイの一員であり、一族に縁(ゆかり)のあるリュデイア Lydia王のクロイソス(在位 B.C. 561 - 547 年)に因んで 命名されたものであろう。この兵士がどの合戦で斃れたのかは 明確でない。

(本文訳注 079) アルゴス Argos  ( page 27 図 01 参照 )
ギリシャのペロポネソス半島東部 アルゴリス地方の中心地の地方都市で、人口 13 千人、アルゴス平野の中心をなす。ミュケナイ時代にはその勢力下にあったが、ドリス人の侵入後は 全アルゴリス地方の主となり、B.C.7 世紀始めフエイドン Pheidon が僭主の頃は ペロポネソス半島の一流国家であった。後スパルタに圧倒されて衰えた。彫刻家に多くの名手を出して アルゴス派をなし、ポリュクリトス Polyclitus はその代表作家である。東北方で発掘された ヘラ女神の神殿ヘライオン Heraion は 女神信仰の中心であった。

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