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(本文訳注 181) コス島 Cos  ( page 27 図 01 参照 )
小アジア半島南西岸沿いのエ-ゲ海のド-デカネ-ゼ群島 Dodecanese に属するギリシャ領の島で、面積 287 平方 km.人口凡そ 2 万人弱である。地中海式の気候で 北部の平原では葡萄を初め 農産が豊富である。他にも 畜産・漁業・鉱産にも恵まれている。古代 このコス島とクニドスでは 医師アスクレピオス神の崇拝があり、島の西部には この医神の神殿の遺跡がある。医学の祖ヒポクラテスの出生地でもある。神話では 島の王でポセイドン神の子のエウリュピュロス Eurypylos が、トロイ遠征の帰途この島に立ち寄った ヘルクレスを追い払おうとして 反って殺されたとされている。

(本文訳注 182) ヒポクラテス Hippocrates
コス島生まれの  B.C. 5 世紀のギリシャの有名な医者であるが、生涯は不明である。ギリシャ人に広く信仰された 医療神アスクレピオス神に連なることを標榜して 医療を行っていた職業者集団 アスクレピアダイ Asklepiadai の一門に生まれ、地中海や小アジアなどを広く旅行して 技術の習得と観察・経験を重ね、存命中から名医としての評価を得ており、死後も 一段と名声が高まった。呪術から医術を独立させたとされ、それまでの神殿医学の祈祷や迷信による治療を排除し、具体的で実践的な医学治療を目指した。彼もそのメムバ-の一人であった アスクレピアダイの誓いとしての<ヒポクラテスの誓い>は、医師の倫理を述べた文章として有名である。又彼の名の下に 医学書が伝存しているが、何処までが彼の真作かは不明で 判定は困難である。

(本文訳注 183) シリアのデメトリオス一世 Demetrius Ⅰ
セレウコス朝のシリア王国が パレスチナのヘレニズム化政策を強行したことに イエルサレム Jerusalem 北方の祭司のハスモネ朝 Hasmonean が反対して、指導者ユダス・マカバイオス Judas Makkabaios の指導の下戦ったマカバイオス戦争( B.C.166 - 142 年)の途中で、一旦信教の自由の条約を結んだ シリア王のアンテイオコス五世 AntiochosⅤと宰相のリュシアス Lysias を殺して 王位に即き、戦いを再開したシリアの王である。併し 王の死後、王国内の紛糾から ユダヤの政治的・宗教的独立を認めざるを得なくなり、ハスモネ朝が世襲王朝として大祭司の地位を保ったが、宗教的純粋さを主張する ハシデイム Hasidim(敬虔派)との争いが絶えなかった。

(本文訳注 184) ドイダルセス Doidalses
小アジアのビテユニア王のニコメデス一世 NikomedesⅠの宮廷で活躍した B.C.3 世紀半ばの彫刻家で、生歿年は不詳である。<蹲くまるアフロデイテ女神の像>は その代表作であるが、原作は失われて ロ-マ年代の摸刻が残っている。

(本文訳注 185) アゲサンドラス Agesandorus

(本文訳注 186) アテノドラス Athenodorus

(本文訳注 187) ポリドラス Polydorus
この 3 人は何れもロドス島出身の彫刻家で、この 3 人が共同して B.C. 1 世紀の中頃に ラオコ-ンの群像を作った。この像の原作は ロ-マのテイトウス皇帝 Titus Flavius Vespasianus の浴場の遺跡の付近から 1506 年に発見され、現在はバチカン美術館に収蔵されている。

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