訳 注

 P51(-p64)
訳注
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(本文訳注 114) クリテイオス Critius
B.C.5 世紀前半に アテネで活躍したギリシャの彫刻家で、生歿年は不詳である。アンテノ-ル Antenor の作った暴君殺害者群像が ペルシャ人に略奪された後、ネシオテス Nesiotes と共同で 同じ群像をB.C.477 年に制作した。

(本文訳注 115) ガニュメデ Ganymede
トロイのトロス Tros とカリロエ Kallirrhoe との子で、ギリシャ神話の美少年である。ホメロスでは イロス Ilos、アッサラコス Assarakos の兄弟とされる。美しさが禍いして 鷲に姿を変えたゼウス神によって イダ山 Ida の天上に連れ去られて、ゼウス神の酒盃の奉持者とされ、その代わりに父親には 素晴らしい神馬(ヘパイストス神の作った黄金の葡萄の木とも言う)を与えたとされる。

(本文訳注 116) タラント Taranto
イタリ-南部のイオニア海の タラント湾に面した港湾都市で、人口 25 万人弱。軍港・商港で、造船・兵器工業が盛んである。古代名はタレンツム Tarentum である。スパルタ人が B.C. 700 年頃に植民した。B.C.5 世紀に マグナ・グレキアにおけるギリシャ諸都市同盟の盟主となり、4 世紀には その繁栄が最高潮に達した。B.C.272 年 エペイロス王のピュロス Pyrrhos の援助も空しく ロ-マに占領され、後ハンニバル Hannibal 側についたが、更にロ-マの略奪を受けた。ブルンデイシウム Brundisium の競争港が出来て 衰退した。イスラム Islam 風ゴシック Gothique の大聖堂・城などの遺跡がある。

(本文訳注 117) セリナス Selinus
B.C.628 年頃に建設された シシリ-島南西岸にある古代ギリシャ人の植民都市で、現在のセリヌンテ Selinunte。古代ギリシャ人の建設した植民市の典型とされる。B.C.6 - 5 世紀頃に造営された 8 つの神殿は 何れもドリア式で、その後室を閉じたアデユタム Adytum 形式のプランは、市街地の碁盤目街路形式と共に、イタリ-土着の建築様式と推定される。B.C.408 年にカルタゴに滅ぼされたが、アクロポリスとその東麓の神殿や市街、城門などの跡が残っている。

(本文訳注 118) ルドヴィシ Ludovisi の王座
B.C.460 年頃 南イタリ-の彫刻家の手になるもので、三面の浮き彫り板の形から 王座と呼ばれているが、本来の用途については定説がない。全体に漲る 独特の宗教的雰囲気から見ると 一種の祭壇であったらしい。正面にある浮き彫りのテ-マについても 解釈はまちまちであるが、<アフロデイテ女神の誕生>とするのが 一般的である。衣装の襞の刻み方や 人体の表現の仕方などに シビア・スタイル期の特徴が 明らかに見られる。 1887 年に ロ-マで出土した。

(本文訳注 119) ゲラ Gela
シシリ-島南岸の古代都市で、現在の人口は 7 万人弱。漁業、農業共に盛んで、港は商港としても用いられる。B.C.690 年に クレタ島、ロドス島の植民者によって作られ、B.C.491 年に僭主ヒポクラテス Hippocrates の死んだ後、ゲロン Gelon がその 2 人の息子から位を奪って僭主となり、同 485 年にシシリ-島東岸のシラクサの土地所有貴族を復帰させて シラクサの僭主となった時、ゲラは弟のヒエロン一世に委ねた。その後 B.C. 282 年まで 破壊と略奪が繰り返された。

(本文訳注 120) ペロップス Pelops
タンタロス Tantalus の子である。神々の寵児であった父が 奢りたかぶって神々を試すべく ペロップスを殺して 料理して神々に供したが、後に神々によって甦(よみが)えさせられた。美貌の故にポセイドン神に愛され 神は天上に連れていって 有翼の戦車を与えた。ピサ Pisa の王オイノマオスの娘 ヒポダメイア Hippodameia が彼に恋し、ヘルメス神の子で王の馭者のミュルテイロス Myrtilos を買収して 王の車輪の轂(こしき)の楔(くさび)を抜かせたので、ペロップスは戦車競争で王に勝って娘を妻とし、ピサに帰って ペロポネソス半島を征服し、オイノマオスの王国を獲得した。オリムピック競技 Olympic Games の創始者とされ、同地に墓があった。

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