(訳注 207) ダエダロス Daedalus 
      
      クレタ島  Crete の迷路を作ったアテネの名工匠で、ミノス王がその迷路に閉じ込めたため 臘付けの翼を作り 息子のイカロス Icarus と共に空を飛んで脱出を図ったが、息子は高く昇りすぎて日光で翼が融け、海中に墜ちて死んだとされる。 
      (訳注 208) ブ−テス Butes  
        
        アテネ王パンデイオンの子で 父の死後アテ−ナ女神とポセイドン神の神官となり、エレクテウスの娘クトニア Chthonia を娶ってブ−タダイ  Butadae 家系の祖となった。 
         
        (訳注 209) パンデイオン Pandion  
        
        エリクトニオス Erichthonius とニンフのプラクシテア  Praxithea との子で アテネの王。その治世は穀物・葡萄酒・オリ−ブに充ち溢れた幸福な時代であったと言う。 
         
        (訳注 210) ブ−タダイ氏 Butadae  
        
        エレクテウム神殿の世襲的神官の家柄で ブ−テス  Butes がその祖とされる。 
      (訳注 211) アテ−ナ・パラス女神 Athena  Pallas 
        
        アテ−ナ女神の呼称の一つで 通常女神自身を指す。パラスはトリトンの娘で、アテ−ナ女神の友人である。( page 006 訳注  007 参照) 
      (訳注 212) タルゲリオンの月 Thargelion 
        
        古代アテネの一年の月の呼称で、一年の最終月スキロポリオンの月 Sciropholion の前の月で、現在の  5 月頃に相当する。プリュンテリア祭  Plynteria とカリュンテリア祭  Callynteria とが行われた。 
      (訳注 213) スキロンの村 Sciron 
        
        スキロポリア祭の行進が終わる地点で 聖道沿いにあった。エレクテウスの年代に アテネがエレウシスと戦った時、ド−ド−ナからエレウシスに来た 予言者のスキロス Skiros が戦闘で斃れて ここに葬られたとされる。 
      (訳注 214) ヘリウス神 Helius 
        
        ヒュペリオン神 Hyperion とテイア女神  Theia との子。パエトン  Phaeton の父で 太陽神。古代ロ−マ人のソ−ル  Sol に当たる。屡々アポロ神と混同される。 
      (訳注 215) 菜園の女神アフロデイテ Aphrodite of the Gardens 
        
        アフロデイテ女神は本来恋愛と美の女神であるが、ロ−マ神話のヴィ−ナス  Venus に当たるとされていて、この女神はもともと菜園の女神であった。 
      (訳注 216) オスコポリア祭 Oschophoria  
        
        酒神デイオニソスを祭る 古代ギリシャの葡萄収穫の感謝祭で、 10 月に行われた。 
         
        (訳注 217) デイオニソス神 Dionysus 
        
        バッカス Bachos とも呼ばれ 元来はトラキア地方  Thrakia 起源の 植物の生命を司る神であった。ギリシャでは酒の神で ゼウス神とセメレ女神 Semele との子で、ロ−マのリベル  Liber と同一視された。 
      (訳注 218) エウパトリッド eupatrid 
        
        古代のアテネやその他のギリシャ諸国で 伝説時代の王やその側近の子孫と信じられた世襲の血統貴族を言い、アテネでは執政官職や元老院の議席を独占し、騎兵か戦車兵として軍事の主力を形成したが、民主政治の展開につれて地位を失った。エウパトリダエ eupatridae は複数形で 貴族階級の人々を指す。 
      (訳注 219) アゴラ agora  ( page 040 図 03 参照) 
        
        古代ギリシャの都市国家市民の生活を象徴した中心市街の中央広場で、政治 経済上の中心地であり、普通ストア(列柱廊)で囲まれ その近くには集会場、議場、神殿などが建てられ 民会、裁判その他の公共の会合が行われた。アテネのアクロポリスの丘の麓のアゴラはその例である。 
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